犬殿に対する製作者の思い

犬殿に対する製作者の思い

プロジェクトリーダー 冨永 善啓

犬殿は、社寺建築の技術を用いて製作した犬小屋です。なぜ、このような犬小屋を作ったのか。その根源の部分に興味を持たれる方は多いと思います。なぜ製作に至り、どのような考えで販売をしているのか。そのような「思い」についてお話したいと思います。

なぜ犬殿を製作しようと考えたか

私は、20年前には社寺建築の新築設計を行う設計事務所に勤務しておりました。そのころは新人でしたので、所長や先輩の指導に従って与えられたスケッチを元に設計図面にする仕事を担当しておりました。そこで図面を描く方法を習得しましたので、何か自分でも設計してみたいと考え、テーマを決めて自分で設計してみることにしました。お寺は儀式の方法や使われ方も設定しないと設計できませんので、もっと身近なテーマにしようと考え、実家で犬を飼っていた経験から、犬小屋を設計してみることにしました。

これは、半ば冗談めいた習作ですが、知人たちにこの話をすると、「絶対に誰か買う」と口をそろえて応えます。その後には、「誰が買うかは知らないけど」という逃げ口上がついていましたが。その後、何年たってもこの話の答えは同じ。「誰かが買うのでは」という答えばかりでした。そこで、なぜそういう答えになるのかを深く考えてみました。

まず、第一には本物の社寺建築を製品として買えることが新しいことなのだと思います。神社や仏教寺院のように国から認められてきた宗教建築に用いられる技術は、権威を示すためにその国の最高の技術が使用されております。一般の人にとっては、そのようなお寺は訪れるものであり、自分で所有するものではありません。自分で建てるということもほとんど考えないと思います。

しかし、その最高の技術を、製品としてお金を出して買えるとなるとどうでしょう。建築として作り上げるよりもずっと、簡易に手に入れることができます。

そして、建築よりも設置する場所を問いません。日本であっても海外であっても指定する場所に持って行くことができます。最高な本物の技術を個人的に手にいれることができる。製品にすることでそれが可能になるのです。これは、とても新しい取り組みなのだと感じました。

また、世の中に熱心な犬好きがとても多いこともみながそう答える理由として上げられます。そのような方々の中には、犬に最高級の品を与えたいと考える方もおられてもおかしくありません。このような社寺建築の技術で製作した犬小屋では、犬の住まいとしては過剰なクオリティーのものですが、だからこそ買ってみたいという人がいるのではないでしょうか。

社寺建築の技術を用いて犬小屋を作ると、犬小屋をとしての常識を大きく逸脱する価格になります。そこまで高額の犬小屋を犬小屋として使おうという人は少ないかもしれません。しかし、品質の高い技術の犬小屋であれば、オブジェとしても十分に価値があるように思います。例えば、ペットと泊まれるホテルのフロントに置くオブジェなどはどうでしょう。また、ペット関連会社の海外支社のオブジェとしてもよいかもしれません。会社のロビーに絵画はよく展示されておりますが、このような日本の技術力を表現するものを展示することはものすごいアピールになるのではないでしょうか。

いろいろな想像はできますが、実際に作ってみなければ、どういう反応をいただけるかは分かりません。話に聞くだけではなく実際に出来上がったものを目の当たりにすれば買いたくなるのではないか。そう考えました。

とにかく製作してみること。まずはこれからです。みなさんにどう受け止めてもらえるかを楽しみにしながら、試作品を作ってみました。

本物を作るために力を結集

犬小屋は、製作する以上は本物に近いクオリティーを持つものである必要があります。ただ、見かけやテイストだけ社寺風のものや、お寺の模型ではなく、「本物」を製作することがこのプロジェクトの目的です。また、実際の社寺建築の技術をただ使えばよいというものでもありません。その中でも上質な材料と技術を用い、誰もがその価値に納得できる美しい物でなくてはならないのです。

そこで私は、設計にあたり青木弘治さんに助力をお願いしました。青木さんは、社寺建築を中心に文化財修理に50年近くもたずさわっており、近世規矩の指導者として宮大工さんの指導にあたっておられました。現在は、近世規矩の選定保存技術保持者として文化庁に認定されておられます。このような方にお願いするのは気が引けたのですが、相談すると快く引き受けてもらえました。

青木さんに参画してもらえたことで、規矩の技術のみならず、多くの文化財となっている社寺建築を修理する中で培われた価値を見抜く目が入りました。社寺建築として美しいものとはどういうものなのか。青木さんの持つその目が製作にあたっての基軸となったことは、誰もが美しいと感じるものをつくるという点において重要なことでした。

木工事は木戸脇棟梁にお願いをしました。古くからの付き合いのある方なので、お願いをしやすかったことが理由になります。なかなかお寺や神社を作っている宮大工さんに「犬小屋を作りませんか。」とは言いにくいものです。しかし、棟梁はお願いをしたときに「これは作り始めたら夢中になるやつですね。」とおっしゃってくれました。

実際に製作にあたっては、組物などの細かい部分から作り始めたのですが、青木さんも私も棟梁が作るもののクオリティーの高さに驚きました。多くの宮大工さんに指導されている青木さんが、「宮大工さんといってもいろんな方がおられるが、木戸脇棟梁はとても細かい作業がかなり得意だと思う。ここまでの人はなかなかいない。」とおっしゃいました。

また、よい大工さんはよい職人さんを知っているものです。銅板屋根を担当する板金職人の坂口さんは木戸脇棟梁の紹介で参加することになりました。彼は私や棟梁より一回り若いのですが、それでもこの道20年のベテランです。これだけ細かい作業を丁寧にやり抜いてもらいました。

扁額は当初の計画にはなかったのですが、ここまで来たら扁額も必要だろうということになりました。当然これも本格的に作らなければなりません。揮毫を誰にお願いするかが一番の悩みでしたが、今回お願いした藤井碧峰先生に行き着きました。このような試みの趣旨にとても賛同していただき、喜んで引き受けていただきました。力強く美しい文字を書いていただいたと思っております。

振り返ってみると誰が欠けてもこのような形で完成できなかったと思います。そして全員が真剣勝負で力と技術を尽くしてくれたと思います。ただ、終わったときに「引き受けたときには、ここまでやるとは思っていなかった」と全員に言われましたが。

写真でもその良さは伝わるかと思いますが、実物を見ていただくと、「本物」だからこそ持ち得る迫力を感じていただけるのではないかと思います。

また、本物の犬が入ると建物の雰囲気がガラッと変わるのも面白いところです。ぜひ直接見ていただきたいものです。

犬殿で伝統技術の認知を拡げる

犬殿プロジェクトは作るだけではなく、作って売る、ほしい人に届けるところまでがプロジェクトです。そして、この販売こそが一番の難関だと考えております。

試作品を製作してみて、技術的な面、費用的な面でいろいろなことが分かりました。その中で特に重要なことは、製作は1年に1棟ずつしかできないということです。

試作品を作るのにほぼ1年かかりました。試作品は、試行錯誤の中で製作しましたので、今後はもっと早くつくることができるでしょう。また他にも製作者を増やせばもっとたくさん製作できることができるかもしれません。

しかし、現段階では試作品と同品質で製作するためには木戸脇棟梁が作る以外ありません。若い大工さんにも手伝いながら継承してほしいところですが、木戸脇棟梁の試作品の品質に劣らないとなるとなかなか厳しいものがあります。品質を落とすことは絶対にしてはいけないので、今の段階では棟梁にお願いするしかない状況です。

棟梁は宮大工なので、実際の建物の新築や修理の仕事があります。いくら犬殿をほしいという人が出てきたとしても、それだけの技術を持った方に犬小屋ばかりを作らせることは社会的に間違っています。お寺や神社を作る中で、それまで馴染みの少なかった人々に技術を楽しんでもらうために、時間をとって犬殿を作ってもらうという方法が本筋だと思います。

そのような理由から、1年に1棟の受注生産とさせていただきました。本当に限られた方にしかお届けできないことになりますが、こういったものがあるということを広く認知してもらうことが重要だと考えます。

今回の犬殿プロジェクトは、伝統社寺建築の技術で作られた犬小屋を売るという内容ですが、ただ商品を売るだけにとどまらない試みだと考えております。犬殿という製品を通して日本海外を問わず多くの方にその価値を認められれば、伝統社寺建築の技術自体への認知も拡がり、価値の向上につながります。

伝統的な社寺建築の新築が減ってきている現在においては、実力を持っていてもその腕の振るう場所のない宮大工さんはたくさんいると聞いております。そういった方の技術を発揮する場として、また技術を知ってもらう場として、このような形での取り組みもあるのではないでしょうか。この一石をきっかけにもっといろいろと新しい取り組みが生まれて、その技術を世に出してほしいと思っております。

この犬殿プロジェクトによって、日本の伝統建築技術の価値が世界の中で認められ、技術を表現する新たな方法のひとつとなればうれしいと考えております。